
PATRICE BÄUMEL
パトリス・ボーメルは、リスボンを拠点に活動する DJ/プロデューサーで、テクノシーンの中でも独自の道を切り拓いてきた存在である。Kompakt、Afterlife、Anjunadeep、Crosstown Rebels、Get Physical といった影響力のあるレーベルからのリリースは、世界中のダンスフロアに数えきれない多幸感をもたらしてきた。
現在の彼を形成しているのは、その生い立ちによるところが大きい。共産主義時代の東ドイツに生まれ育ち、音楽ジャーナリストであった父親の影響で、幼少期から幅広いジャンルの音楽に触れてきた。Depeche Mode、The Cure、Yello などのバンドに特に強い影響を受け、何千時間にも及ぶリスニング体験が、彼の音楽的宇宙の基盤となった。
14 歳の時にベルリンの壁崩壊を目撃し、共産主義から資本主義への激動の時代を経験。16 歳の時にはユタ州への交換留学を通して自立心を高め、「少年から大人へ」と大きく成長したと語る。帰国後、ドイツではテクノブームが巻き起こっており、彼もすぐさまその世界に魅了され、17 歳で DJ を始めた。レジェンダリーなレコードショップ Hardwax からの影響も大きく、Chicago House や Detroit Techno が彼のセットの礎となった。
その 2 年後にはアムステルダムに移住し、よりコスモポリタンなライフスタイルを追求。バーや小規模なヴェニューでの DJ 活動や、自主パーティーの開催を続ける一方で、生計を立てるためにコールセンターやプログラマーなど様々な仕事をこなしていた。こうした経験は、ダンスフロアにおける感性とスキルを培う貴重な時間となった。
2002 年、サンパウロで開催された Red Bull Music Academy に参加したことで、音楽こそが自らの使命だと確信し、プロデュース業に本格的に乗り出す。2005 年には Trapez よりデビュー作「Mutant Pop」をリリース。その数年後、Get Physical からの「Roar」が世界中の DJ たちに支持され、国際的なブレイクを果たす。
その後、アムステルダムの伝説的クラブ 11 や Trouw でレジデント DJ を務め、Trouw は「誰もが受け入れられる幸せな場所」であり、最も恵まれた学び舎だったと語る。ここで彼は最長 7 時間に及ぶロングセットを通して、表現力を磨いた。
Trouw の閉店後、一時的に音楽的なホームを失いキャリアも低迷したが、自らの内面を見つめ直し、依存症や自己管理の欠如、他者への非難や被害者意識を克服。自己満足のための音楽ではなく、フロアに最大限の良いエネルギーを届ける音楽へとシフトチェンジした。
その歩みは、Global Underground や Balance シリーズ、そして BBC の Essential Mix など、彼の内的探求が反映されたミックス作品群にも表れている。
現在、彼は新たなプロジェクト HALO をスタート。自身の音楽をリリースするためのプラットフォームであると同時に、オールナイトロング DJ セットを中心としたイベントシリーズを展開。単なる消費ではなく、人と人とのリアルな繋がりと参加型カルチャーの創出を目指す。
音が鳴り始め、光が消える。その瞬間、私たちは踊り出す。